2児のパパライターの「子育て」と「写真」と「仕事」

新丸子の喫茶店で知り合って交際4カ月で結婚した夫婦の記録

僕にとって洗濯が癒しになった、20歳のときの体験

清潔感はあっても、清潔ではない。それが、僕だ。

自分で言うのもアレだが、僕の見た目はどことなくさっぱりしている。それだけに清潔な感じに見られるのだが、しかし、実際は残念だ。

独身ひとり暮らし時代には、絵に描いたような汚部屋で生活をしていた。本や文房具、着替えた洋服が床に散らばっており、足の踏み場がなかった。

ちなみに文房具が床にあった理由は、思いついたことをすぐに書きとめるためだ。当時は床に座って過ごすことが多かったので、手を伸ばせばペンやノートを手に取れるのは都合が良かったのだ(片付けろ)

汚部屋の写真は残っていないが、記憶には残っている。
 
こんな感じで綺麗好きとは縁遠い僕だが、洗濯はすこぶる好きだ。妻からは「本当に不思議」と言われる。少しでも汗をかくと僕は着替えるのが好きで、独身時代は一人暮らしなのに洗濯物がたくさん出た。

夏場は1日に最低3回は着替えた。休日は、午前8時と午後3時に2度、洗濯機を回した。もし当時、現在のようにリモートワークが普及していたら、仕事の合間に洗濯ばかりしていただろう。

うつ病を発症し、入院した

僕が洗濯を好きになったのには、しっかりとした理由がある。僕が19歳から20歳を迎えた2004年の夏にまで遡る。

当時、僕はうつ病を発症して精神科専門の病院に約3ヶ月間入院していた。今ほど暑くはなかった8月上旬のことだ。5月から心身に違和感を抱いて自宅で療養をしていたが、芳しくい状況ではなかったことから入院措置を取るに至った。

精神科専門の病院での入院生活は、一般の病院とは違う。病気の回復はもちろんのことだが、患者が社会生活へ復帰できることがゴールなので、心身の状態を見ながら、基本的に身の回りのことは自分でやるルールだった。

食事は病室でではなく、病院フロアにある広いスペースで食べた。このスペースには円卓と椅子がいくつもあり、グループにわかれて食事をとった。入院時には持ち物検査を受け、ハサミのような自分も他人も傷つけかねないアイテムを所持していないかチェックされた。その頃にはガラケーが主流だった携帯電話は、院内には持ち込めなかった。

入院生活にもんもんとしていた

 
病院の共用フロアは南を向いており、晴れている日の日中にはよく陽が入った。僕は薄暗い病室は好まず、1日のほとんどを共用フロアで過ごした。思ったことを書き留めるために、ノートとペンをいつも携帯していた。

考えようによってはペンも人を傷つける道具になり得るが、没収はされなかった。ひとりでノートに気持ちを書いたり、時折、他の入院患者と会話を交わしたこともあった。

強い行動制限はなかったものの、20歳と若くエネルギーが有り余っていた僕にとって、病院での暮らしはつらいものだった。

将来への焦りや自分が病院にいることへの違和感などで僕の気分は最悪で、行き場のない負の感情はしばしば周囲にぶつけられた。20歳になったばかりの頃の僕はそれなりに血の気が多く、しばしば周りの患者さんと揉め事を起こしてしまった。

カゴに閉じ込められているような気がした
入院中には自由に外に出ることはできなかった。週に一度、看護師さんの引率で病院の売店へ行き、お菓子や文房具などを購入できた。売店へ向かう途中、外来の患者さんたちを見て「僕も外へ出たい」と強く思ったものだ。

病院には薬だかなんだかわからないが、独特の匂いが漂っている。僕はその匂いが苦手だったので窓を開けようとしたのだが、すぐにガツ!!と音を立てて窓が動かなくなった。故障ではない。

もともと、窓は数センチしか横に動かせないつくりになっていたのだ。目的は、飛び降り防止だ。数センチだけしか開かない窓の外からは、夏の熱気と湿気がこもった外気が院内に入り込んだ。僕は外気を取り込み、気分転換をしていた。

入院中の僕は、いつも同年代の友人のことばかり考えていた。友人は学業やバイト、恋愛を楽しみ、就活に勤しんでいる。お付き合いをしていた女性はいたが、入院前日にお別れした。チーン。

学生生活を楽しんでいる友人たちに対して、僕は窓が数センチしか開かず、自由に外にも出られない環境に身を置いている。「俺は何をやっているんだ」と焦りまくっていた。退院した後に僕はどう生きればいいのか。学校は?就職は?もう、自分の将来に不安しか感じなかった。

院内にあった洗濯スペースが憩いの場だった

 
こんな感じで病院で悶々と過ごしていた僕には、心の支えとなってくれることがあった。それが、洗濯だった。

ちょっと前に、「基本的に身の回りのことは自分でやるルールだった」と書いたことを覚えているだろうか。重度のうつ症状を発症している人ではない限り、自分の衣服は自分で洗濯をした。

院内のフロアには洗濯スペースがあり、そこにはいくつかの洗濯機があった。小さなコインランドリーのようなイメージだ。乾燥機はあったか覚えていない。


売店では、たしか「洗濯カード」といってテレホンカードのようなカードを購入できた。約20年前のことなので記憶が薄れてしまったが、1000円分の洗濯ができるカードだったと思う。洗濯機を一度回すのに100円かかるとすると、一枚のカードで10回洗濯できた。洗剤は自動投入だったように思う。

僕はほぼ毎日、夕方になると洗濯をした。よく着替えたので洗濯物がたくさん出たこともあるが、何よりも、洗濯をする時間は入院中の僕の癒しだったことが大きい。

つらい。でも僕は洗濯ができる!幸せすぎる!

縦型洗濯機のフタを閉めて洗濯スタートボタンを押すと、水が勢いよく洗濯槽に入っていく。やがて洗濯槽が動き始め、バチャー、バチャーと衣類が洗剤が混ざった水で洗われていくようになる。

僕は洗濯機の前に立って、その様子を眺めるのが好きだった。汗で汚れた自分の服が、どんどんと綺麗になっていく姿を見て、言葉では言い尽くせない幸福感を抱いたのだ。

今はつらい。学校がどうなるのか、自分の将来がどうなるのか、わからない。でも、僕は今こうして洗濯ができる!

そう思うと、僕は不思議と気分が上がったし、自分の人生は捨てたもんじゃないなと思えたのだ。

退院から約20年。僕は子どもたちの汗だくになった洋服を洗っている

あれから20年近くが経ち、僕は結婚をして2人の息子たちの父親になった。日中にかいた汗が染み込んだ子どもたちの洋服をその日のうちに洗濯するのが日課だ。長男が今期初めて保育園でプール遊びをしたので、水着を洗った。

プール開き以来晴れの日はたくさんあったが、熱中症アラートが出るほど危険な暑さでプール遊びができなかったのだ。

子どもたちを寝かしつける前に洗濯をし、ハンガーに洗濯物をかけて脱衣所で乾燥させる。それが、毎晩のルーティンだ。


利用する洗濯機はドラム式に変わり、洗濯カードがなくても洗濯ができるようになった。それでも、洗濯をすると気分が上がることに変わりはない。

余談だが、精神科専門の病院への入院生活で洗濯以外に身につけた習慣がある。それは、お白湯を飲むことだ。

また、自分の心身の状況をチェックしたり、メンタルがボロボロになる前に休むようにもなった。その辺のことは、別の記事で書いてみようと思う。

お読みくださり、ありがとうございました。

薗部雄一

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