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新丸子の喫茶店で知り合って交際4カ月で結婚した夫婦の記録

不安と恐怖を感じて「生きたい!」と感じた 精神病院の入院体験

ブログをお読みくださり、ありがとうございます。

そのべゆういち(@papayuyu0309)です。

 

 

2018年5月15日に加筆修正しました!

 

バランスを崩したときは辛い。でも治療すれば治る

 

最近、ネットでうつに関する話をよく目にするようになりました。「うつで人生詰んだ」とか「諦めなきゃいけない」とか書かれている記事を読むと、まったくそんなことはないよ!と伝えたい衝動に駆られます。

 

今の僕を知る人は想像できないかもしれませんが、僕は20歳のときにうつを経験して、一時は精神病院に入院したことがあります。学校は留年しましたが、その後卒業し、就職もちゃんとし、結婚もできて、子どももいます。

 

心のバランスを崩すわけですから、確かに一時的にはとても辛いです。でも、治療すれば治ります。今苦しいと感じる人の役に立てたらいいなと思い、僕が精神病院に入院した経験を紹介します。

 

(なお、この記事には統合失調症や躁病など、具体的な病名を出して患者さんを描写しています。しかし、あくまで僕が接した患者さんの症状を書いているだけであり、必ずしも全ての患者さんに当てはまるわけではありません)

 

 日記に「死は苦しみからの隠れ家」って書いてた

 

入院に至ったのは、自宅では気分の落ち込みを対処しきれなかったためです。もう13年も前のことで記憶が曖昧ですが、ちょうど5月中旬くらいから気持ちの変調を感じ始めました。


最初は不眠から始まり、そのうち焦りや劣等感、胸の苦しさなどを感じるようになりました。毎日涙が止まらず、生きることに希望が持てなくなりました。自分が何者かもわからない。出口が見えないトンネルの中にいるような気持ちでした。

あと、とにかく死にたくなるんですよ。


当時の日記(当時は日記を書く習慣があった)には、

 

「死は苦しみからの確かな隠れ家」

 

とか書いてて、ほんと、冗談抜きでヤバイ状況でしたよ。


単に死にたいと思うだけでなく、ナイフかヒモかという風に具体的にどうやったら死ねるかを考えるようになる。取り乱しているようで、案外冷静さも持っていました。


そんな状態になったら要注意です。すぐに医療機関へ受診しましょう!ここまでひどくなる前に、ちょっと疲れたとか、気分の落ち込みが続くなど、初期の症状のうちに対処することが大切だと思います。

 

余談ですが、当時は付き合っていた女性がいたけど、入院の前日に「ほかに好きな人ができた」という電話とともに別れを告げられました。痛恨の一撃ですね(涙)休学、留年決定、内定辞退など、なかなかボロボロの状況だったなあ。

 

入院手続き

 

自殺を考えるようになり、危険ということで主治医の先生から入院の提案がありました。すぐに手配して、自宅からバスと電車で1時間ほどの場所にある病院に入院することになりました。8月の頭のことです。

 

パジャマなどの日用品などを持って、病院に向かい、入院手続きをします。ここで驚いたのが、病棟の扉がオートロックだったこと。専用のICカードがないと開閉ができません。

「いよいよ来たか」

 

そんな心持ちでした。病棟に到着すると看護師から荷物検査を受け、尖ったものや他人や自分に危害を加える可能性があるものは没収されます。そのあとは身体検査です。看護師さんに案内されて奥のゾーンに入ったのですが、ここで僕は衝撃を受けます。

 

手枷足枷がついたベッドを見た

 

奥のゾーンには処置室(確か、こんな名前でした)という部屋が何部屋かあり、何かの拍子で中をチラッと覗いてしまったんです。中で叫んでいる人が見えました。中の人の表情ははっきり覚えていないけど、まるで獣のように叫んでいたことは覚えています。

患者さんのベッドには手枷足枷がついていて、暴れ回らないように固定できるようになっていました。

「これが同じ人間なのか」

語弊があるかもしれないけど、僕は率直にそう感じました。僕は恐怖と不安を感じ、

「あ、もう帰りたい」

そう、思ったよ。おかしな話だけど、入院前は死にたくて仕方がなかったのに、こうした強い恐怖や不安を感じたことで、生きていることを実感したんです。「恐怖や不安を感じるのは、生きている証拠なんだ」って。


食事は広間でみんなで食べる

僕が入院した病院では、食事を広間に集まって食べました。普通、入院生活では決まった時間に食事が病室に運ばれて、ベッドの上で食べます。でもね、精神病院ではみんなで食べるんです。

ひとつのテーブルには3人から4人くらいが座っていました。確か席次は決まっていたと思います。

このとき僕と同じテーブルに座っていた同い年くらいの男性が、口からヨダレを垂れ流し、視点が定まっておらず、直視できるような状態ではなかったことに衝撃を受けました。(彼はその後回復。まともに会話ができるようになり、同い年ということもあって院内で仲良くなりました)

初めて見る世界にショックが大きく、心細い気持ちで入院生活がスタートしました。

 

ドアは3センチしか開かない


院内には面会用のソファーが置かれたスペースがあって、そこからは山の緑が見え、僕にとって癒しのスペースでした。病室の中は薄暗くて落ち着かず、日中は面会スペースで過ごすことが多かったです。

僕が入院したのは8月の上旬だったので、かなり暑かったです。なので外の風を浴びたい気持ちになり、窓を開けようとしたのですが、少し動かしたところでガッと音を立てて止まったんです。3センチくらいしか開かなかった。

それもそのはず、窓が全開できたら飛び下りの危険性がありますから。わずかに開いた窓に口を近づけて、外の新鮮な空気を吸っていました。

薬は食後に並んで受け取り、看護師の前で飲み込む


薬は食後、看護師の前で飲むのがルールでした。僕が処方された薬の数は多く、1日に合計30錠くらい飲んでた時期もありました。薬カウンターに並び、名前を伝えて薬を受け取り、看護師の前で水とともに飲みます。飲み終えたら口を開けて見せ、飲んだふりをしていないかの確認がされます。

薬の副作用が辛かったです。口がとにかく渇くんですよ。朝起きたら奥歯と頬の内側がくっついていて、はがれない(笑)だから枕元に水を置いておいて、その水を口に含んで奥歯と頬をはがしていました。


あとは便秘にも悩みました。下剤がイマイチ体に合わなくて、トイレで腹痛に苦しんだ記憶があります。毎日看護師さんがバイタルチェックに来るので、副作用のことや体調の変化は相談できました。

 


うつ病の患者さんだけではない

 

入院患者さんはすべてうつ病というわけではありません。ひとりひとりの病名を聞いているわけではないので推測ですが、統合失調症の患者さんは結構な人数いたように記憶しています。

統合失調症は、幻覚や妄想が特徴的な精神疾患で、かつては精神分裂病と呼ばれていた病気です。100人に1人がの割合で発生するので、決して珍しい病気ではないんですね。

統合失調症の人は入退院を繰り返す傾向があるようで、「また戻って来たね」と看護師さんと親しげに会話をする患者さんもいました。具合がいい時は自宅で過ごし、具合が悪くなったら病院に入院して治療を受けるという感じです。


電話は自由にできる

 

入院時の持ち物検査で、携帯電話は没収されます。外界との連絡が取れる機器は治療の妨げになるからのようです。

でも、外界との連絡が全く取れないというわけではありません。もちろん、患者さんの具合や治療状況によっては医師から禁じられる場合があるかもしれませんが、僕は自由でした。

院内には今はほぼ見ることがなくなった公衆電話がひとつあり、そこでテレホンカードを使って電話をかけることができます。電話ができる時間は決まっていましたが。


お風呂も看護師の監視のもとで


お風呂は週に3日くらい入ることができました。しかし、自由にゆっくりはできません。看護師3〜4人監視のもとで入るので、とにかく落ち着かなかった。誰かに自分の体を見られながら入浴する経験って、あまりないですよね。。


僕は当時20歳。僕よりも年齢が少し上の20代半ばの看護師さんたちの前で裸になるのが嫌でした。さっとお風呂で体を洗ったら、すぐに浴室を後にしました。向こうは見慣れているかもしれないけど、僕は見せ慣れていないから。


洗濯は僕の憩いのイベント

 

院内には幾つか洗濯機が設置されていて、洗濯は自由にできます。自分のことは自分でやることが奨励されていましたから、時間がかかっても、たどたどしくても、自分でやることが治療の一環だったのです。

人間関係を築いても、希望を持ち始めても、狭い病院での入院生活はストレスでした。うつになると不眠が起こるのですが、夜中に何度も目が覚めて、病室の天井を眺めながら、「いつ退院できるのか」「退院した後の自分の人生はどうなるのか」を考えて不安や焦りを感じていました。

そんな中、洗濯は僕に取ってストレス解消のイベントでした。洗濯をし、干している時は無心になれたからです。今でも洗濯が好きですが、このときの気持ち良さが影響しているかもしれません。


週に1度、外でのレクレーションがある

 

僕が入院した病院では、週に1度、外でのレクレーションがありました。30分程度でしたが、中庭に出て外の空気に触れられるのは嬉しかったな。ボール遊びをして遊びましたね。
病室って独特の匂いがするんですが、どうも苦手で。。。
外に出られる時間は気持ちが安らぎました。

 

歌を歌う時間がある

 

平日の午後に歌を歌う時間があった

平日の午後には、広間で歌を歌う時間がありました。歌は月ごとに決められていて、8月はケミストリーのmirage in blueという曲でした。

 


CHEMISTRY - mirage in blue (Live)

 

9月は山口百恵さんの秋桜

10月はゆずの栄光の架け橋でした。

 

すべての曲が、僕の記憶に強く残っています。音楽って気持ちを落ち着かせてくれるんですよ。毎日の歌の時間が楽しみでした。

 

売店でお菓子を買える

 

お金の管理はどうするのか?という疑問を持たれるかもしれませんね。ちょっと記憶が曖昧なのですが、入院手続時に看護師さんにお金を預け、そのお金を少しずつ使ったように記憶しています。売店に行ける日が週に一度あり、看護師さんに買ってもらうという形をとったはずです。


他の患者さんとの交流


入院生活では、他の患者さんとたくさん交流しました。各患者さんには様々な背景、人生があり、面会スペースのソファーでいろんな話を聞いていました。

先に統合失調症の患者さんが多いと書きましたが、幻覚や幻聴、妄想を起こすことがあります。さっきまで普通に話していたのに、突然混乱したり怯えたりすることがありました。その変化に当初は驚いていたけど、そういう病気なんだと徐々に受け入れられるようになっていました。

 

ちなみに中年の女性が多かったのですが、僕はモテましたね(笑) いつも話しかけられて、一緒に卓球をしたり、本を読んだり、いろんなことを話したり。

僕は中年女性にとっては話しやすいみたいでした。中には深刻な話もあったけど、僕は話を適当に受け流せるので、苦にはならなかったです。自分ごとにして聞いていたら、とても心が持たない話ばかりでした。

 

しかし交流は、いいことばかりではありませんでした。統合失調症は幻覚や幻聴が起こりますが、ときにその幻覚などが僕には向けられることがありました。

あるとき、面会スペースでくつろいでいると、とある統合失調症の患者さんがやってきて、僕に対して有る事無い事を言ってくるんです。僕が悪口を言ったとか、自分に危害を加えようとしたとか。相手は本気でそう思ってるし、ひどく取り乱していてまともに会話はできません。

そういうときは、看護師さんを呼んで対処してもらいます。3か月の入院生活の中で、対処してもらったことは3回ほどあったかな。最初は怖かったし、不快な気持ちになりましたが、「仕方がないことか」と気にならなくなっていきました。


躁病の患者さんが一番苦手だった


僕が一番苦手な患者さんは躁病の患者さんでした。うつの人にとって、元気でパワフルな躁病はうらやましく思うかもしれません。でもね、実際の躁病患者さんを目の当たりにすると、明るいとか希望に満ちてるという前向きな感じではなく、文字通り病的に明るい状態なので困りました。

僕が院内で接した躁病患者さんは、まるで時代劇に出てくる殿様のように尊大で、周りに遠慮をせず、態度は喧嘩腰。とにかく声が大きくて、まくしたてるように話してくる。対応に困り、入院生活が窮屈に感じました。

 

治療に集中できたことは良かった

 

入院して良かったと思うことは、治療に集中できたことです。

携帯があると、家にいても外界と連絡が取れてしまう。中には知らなくていい情報もあるし、ひとりの時間を持つことが大切なときもある。

いつも周りと比べてしまい、劣等感を抱いて、自分で自分を苦しめてしまったと思います。

 

「自分は調子が悪い」

「治療が必要だ」

 

そうやって自分自身に向き合い、治療に専念できる環境を作れたことが、精神病院に入院してよかったことだと思います。

 

退院後は投薬治療を続けた


僕の精神病院での入院のことをざっと書いてみました。退院後は投薬治療を受けながら復学、留年して卒業。普通に就職して転職して、結婚して子どもが生まれて、今に至ります。

一時期は「うつになったこと」を人生の汚点のように思っていて、自分が恥ずかしく感じていました。しかし10年以上が経過して、今では「なぜ恥ずかしい思いをする必要があるのか」と開き直っています。僕の人生を構成する貴重な経験であり、堂々としていればいい、と思っています。

  

お読みくださり、ありがとうございました。

 

薗部雄一

charoma0701@gmail.com

 

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