12月14日。
それは5年前、僕ら夫婦が夫婦になった日だ。
大切な日であることは言うまでもないのだけど、僕にとっての12月14日といえば長らくずっと、この記念日だった。
赤穂浪士47人が吉良邸に討ち入った日…!
僕が赤穂浪士にドはまりしたのは小学校6年生のとき、俳優の北大路欣也さん主演の「忠臣蔵」を見たことがきっかけ。
このドラマには、若かりし内野聖陽さんや山本耕史さんが出てたよ!
僕は小学校3年生のときから歴史が好きになったのだけど、赤穂浪士の討ち入りのことは知りませんでした。
だけどドラマを見るたび、どんどん興味をひかれていったんだ。
江戸時代といえば、武田信玄と上杉謙信がドンパチしていたような戦国時代と違い、国内で大きな戦がなかった穏やかな時期です。
そんなゆるーい時代にですよ、幕府の本拠地がある江戸の街中で、徒党を組んだ武士による武力行使が行われていたことに僕は衝撃を受けたんです。
待て待て、江戸時代中期はそんなに治安が悪かったかな?
おこづかいを握りしめて近所の本屋で赤穂浪士についての本を買い、気づけば討ち入りが起こった原因を探り始めるまでになっていました。(今考えると小さい本屋だったのに、よくそんなマニアックな本が売っていたなあ)
当然、47人の名前やそれぞれの役職なんかも調べたよね。学校から帰るとすぐに本を開いて、「そうか、そうか、大石内蔵助(くらのすけ)さんは家老職だから役職が上だな。
討ち入りのリーダーになるわけだ」なんて考えながら、寝食を忘れて勉強づけの日々。当時は頭の中に常に47人の赤穂浪士が占拠している状態でした。
赤穂浪士に想いを馳せながら、お寺にも何度も行きました。
お寺の入り口で線香を買って、47人すべての墓石に線香を手向けて手を合わせる。
そこに行くには自宅からはバスと電車を乗り継いで1時間以上かかるんだけど「大好きな人たちのお墓参りに行きたい!!!」その一心で足を運んでいたんだよね。
お寺の境内には資料館があって、館内には赤穂浪士ゆかりの品が展示されていました。鎖帷子という防具や刀、槍なんかが並んでいて、僕はそれらをじっくりと見て回りました。
身にまとっていた服なんてボロボロでさ、300年近く経っているんだなと感じるとともに、「この服を赤穂浪士が着ていたのか!うおーーー!!!」って、興奮したなあ。
47人はとっくに亡くなっているけど、彼らが使っていた洋服は残っていて、僕の目の前にある。赤穂浪士はこの服を着て毎日を過ごしたんだなと思うと、なんだか胸が熱くなったんだ。
こんなことを考えていて、趣味が赤穂浪士のお墓参りだなんて小学生は、どれくらいいるんだろうね。なかなか渋いよなあ。
ちなみにお墓参りと泉岳寺で僕が大好きだったのは、お土産。
お寺の入り口近くに売店があって、そこには赤穂浪士グッズがたくさん並んでいたんだ。たとえば赤穂浪士47人について詳しく書かれた本やポストカード、太鼓などです。
近くの書店ではとても手に入らない本ばかりで、泉岳寺では何冊も買ったよね。当時は今みたいにAmazonなんてないから、買える場所に行って買うのが得策だったんだよ。
あとは赤穂浪士47人の武装した姿を描いたポストカードもお気に入りでした。一枚一枚見るだけでは飽き足らず、両面テープで自分の部屋の壁一面にカードを貼り、自室にいるときにはいつでも赤穂浪士を身近に感じられるようにしました。
勉強中に疲れたら壁を見る。そうすると赤穂浪士の絵と目があって、「よぉ、がんばれ!」と叱咤激励されたような気持ちになったんだ。
あと太鼓とは何かというとね、これは史実と違う可能性があるのだけど、討ち入り時に寄せ手のリーダーである大石さんが太鼓をどんどんと叩いて名乗りを上げるシーンがあるんだ。
いやー、忠臣蔵好きな人には響くとおもうんだけど、この場面は手に汗握るんだよ!頑張れー、47人ー!!って応援してしまう。
武士はけっこう礼儀を重んじる人たちなので、戦いの際には「今から攻めるぞー!」と相手に挨拶をする習わしがあった。太鼓がその挨拶代わりという描写です。
でもそもそも早朝に襲っている時点で奇襲みたいだし、大きなハンマーで門の扉を壊して侵入しているしね。太鼓で名乗りを上げる意味とは…?と思うよね。(それを言ったらおわりなやつ)
この太鼓を僕は買い、自室で大石さんになりきってどんどん鳴らしていました。気分は完全に赤穂浪士ですよ。余談ですが、太鼓はひとつ6000円ほどしました。高い!!
赤穂浪士好きの影響は、学校生活にも及びました。6年生なので、卒業制作でオルゴールを作っていたわけですが、僕は外板の柄に大石さんの太鼓の柄を彫ったのよ。
太鼓の紋は大石さんの家紋である「右二ツ巴」。
卒業制作のオルゴールの外板に家紋を掘るなんて、僕は本当に赤穂浪士が好きだったんだなと思うよ。
でもね、オルゴールだけじゃないんだ。
卒業文集のテーマにまで赤穂浪士を選びました。
タイトルは、「赤穂浪士」。
なんのひねりもない、シンプルな4文字。
文集ができてクラスメートの書いたものと比べると、ひときわ目立っていましたね。
だいたいは遠足や運動会など、小学校6年間の思い出をトピックにあげることが多いのに、僕は学校生活に全く関係ないことを選んでいるからね。
文集を清書する前に担任の先生に確認をとるのだけど、なんと先生も赤穂浪士が好きだったので、OKが出たんですよ。
そして担任の先生の苗字は、浅野さん。
赤穂浪士の主君と同じ苗字という偶然よ!
浅野先生、あのときはありがとうございました!
赤穂浪士への情熱は中学2年くらいに冷めていったのだけどね、今でも12月14日になると「討ち入りだなー!」と47人に思いを巡らせる、というお話でした。
なんだかこの文章を書きながら小学生の自分を振り返って、僕って変かも…?と不安になったけど、まあ、いいや。
ここまで語ってきて何なんだ赤穂浪士、気になっちゃったよ、て方はこっちの記事(近日中に公開!)もオススメだよ。
おわり
そのべゆういち
charoma0701@gmail.com
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