2児のパパライターの「子育て」と「写真」と「仕事」

新丸子の喫茶店で知り合って交際4カ月で結婚した夫婦の記録

【人生の学び】何にも持っていないと感じたとき、僕は欲しいものを手に入れることができた

7月1日、おかげさまで39歳の誕生日を迎えることができました。

元気に年を重ねることができて、嬉しいです!

シャトレーゼで買った誕生日ケーキ!(くまちゃんかわいい)

2015年の誕生日をふと思い出す

子どもたちとお昼寝をするために布団の上に寝転がって、ふと2015年の誕生日のことを思い出しました。当時、僕は体調不良のため離職をし、自宅で療養をしていました。そのときには仕事はないし、彼女もいませんでした。しかし、信じられないことに、同じ年に、かねてよりの夢だった家庭を持ったのです。

 

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何も持っていないときこそ、あらゆるものを手に入れるチャンス

2015年はまさに転機になった年でした。細かく書くと途方もなく長文になりそうなので、この年に僕が経験したことを箇条書きにしてみます。

2015年に起こったこと ・5月 退職
・6月 転職。その後3週間で退職
・6〜7月 無職になって療養中心の生活を送る
・7月 体調を見てフリーランスを始める
・8月 恋人ができる
・9月 同棲を始める
・12月   入籍する


できごとを書いていて、「我ながらあらゆる体験をぎゅうぎゅう詰めにしたな」と、ちょっと引きました。もっと間隔を空けてもよかったよね…。もはや、ありったけの経験を一気に詰め込んだ感じ。ぎゅうぎゅう詰めのお弁当みたい。

ギュウギュウ詰めのお弁当

 

ただ、いまになって振り返ると、2015年にいろんなことを体験したことは、僕が人生において重要な学びを身をもって得る機会を与えてくれました。それは、

何も持っていないときは、何かを手に入れる絶好のチャンスである

ということです。

僕は2015年に、転職と失業、療養生活、恋愛、同棲、結婚を経験しました。普通に考えれば、病気で失業して療養をしている状態でよく恋愛や結婚をしようとは思わないはずです。そもそも、恋愛や結婚にはまったく向かない時期と言っても過言ではないでしょう。

僕は20代の頃から愛する女性と結婚をして家庭を持つのが夢でした。でも、家族を養うためにじゅうぶんな稼ぎを得られていない、仕事の経験やスキルも不十分、もっと自分を高めないといけない、もっと、もっとと思い続けていました。常に自分に負い目を感じていたんです。

ところが、僕が家庭を持つという夢を実現したのは、稼ぎところか職もなく、将来の見通しも立っていないような時期だったから不思議です。僕は自分の状況を負い目に感じることも、デメリットにすら感じることなく、すごく自然な感じで夢を叶えていました。

はっきり言って、2015年の7月1日時点の僕は、職もお金も地位も手放していました。最初はそんな状況に嘆きましたが、時が経つにつれて僕の心境は穏やかになっていったのです。

なぜかというと、それまでとらわれていたことを手放したおかげで、自分が持っているものに気がついたからです。

自分についたラベルを外す

僕がとらわれていたこと。それは、いくら稼いでいる、どんな仕事をしている、どこで働いている、どんな服を着ている、どんな物を持っているかなど、自分を飾るものでした。「年収○○円のそのべさん」「都心の一等地で働くそのべさん」みたいな感じですね。

自分を形容するものに執着して追い求め、自分にたくさんのラベルをつけて生きていました。地位やお金などを求める気持ちは行動の原動力になりますし、良い面があります。しかし固執すると、「もっと、もっと」「まだ足りない」と思うようになり、いまあるものに目を向けなくなってしまうデメリットがあります。

時には、ラベルが負担になる

ところが、自分についた余計なラベルが一気に外れたことで、僕は半ば強制的にラベルレスな自分、つまりありのままの自分を見ることになりました。そうなると、それまでは気がつくことがなかった「自分がちゃんと持っているもの」に目が向くようになったんです。

朝起きられて幸せだな。
コーヒーの香ばしい香りをかげていい朝だな。
自分には命があって嬉しいな。
自分は言葉を話せるじゃないか!
自分は歩けるから行きたいところがあればいけるじゃないか!

 

手作りスコーンとコーヒー

そんな感じで、「もっと、もっと」と何かを追い求めている状況では、「そんなの当たり前」と評価しがちなことがあるのは決して当たり前じゃないし、あることに感謝できるようになった。

いま仕事がないなら、探せばいいし、つくってもいい。
お金がないなら、稼げばいい。
命があるなら、何だってできるじゃないか。

 

ラベルレスな自分になれたことで、ありのままの自分がなんだか心強く思えました。

ラベルは、あっさりと外れてしまうかもしれません。でも、ありのままの自分は死ぬまでなくなることはありません。

説明が長くなってしまったのですが、僕が無職、療法中でお金もほぼ持っていない状況でも恋愛や結婚ができた理由は、当時の僕に変なラベルが一切なくてありのままでいたから。

車のギアにニュートラルがある意味

当時の僕の心境は、車のギアがニュートラル(N)に入っているような感じだったように思います。

ギアをニュートラルに入れると、エンジンとギアが噛み合わなくなります。なので、車は前進も後退もできません。だから、ニュートラル(中立)ギアと呼ばれるのでしょうね!

これはAT車に限った話ですが、駐車時にはギアを「P」に入れるし、エンジンブレーキをきかせるときには「2」や「L」に入れます。では、なぜ「N」があるのか疑問です。

ヒントは、シフトレバーに書かれた英数字の順番にあります。車種によって違いはあるものの、「R」→「N」→「D」といった感じで、後退と前進の間にニュートラルが陣取っています。

もしニュートラルがなかったら、前進から後退に切り替える際にギアに負担をかけてしまい、故障の原因となります。それまで前進に噛み合っていたギアを突然後退するギアに嚙みあわせるわけですからね。これを解決するために、一度ギアをどこにも噛み合わせない状態をつくっているのです。これが、ニュートラルが果たしている重要な役割です。

ギアをどこにも噛み合わせない状態をつくる。

これは人生でも似たようなことが言えると僕は思っています。やるぞー!俺はすごいんだぞー!とイケイケドンドンでもなく、どうぜ俺なんてダメだと後ろ向きなモードでもない。

めちゃめちゃ前向きでもないし、ネガティブな思考に支配された状態でもない。ありのままを受け入れ、自然体で過ごしている。そんな状態を僕は人生のギアがニュートラルに入っていると思っています。

いまにしっかりと向き合うと、不安を抱きづらい

人生のギアがニュートラルに入っていたとき、不思議と僕はいろんなことに恐怖心を抱いておらず、なんでも受け入れられるような心境でした。後悔をせず、未来を考えすぎず、とにかく今に集中をしているような感じ。過去も未来も思いすぎず、いまにしっかりと向き合うと、いたずらに不安を感じずにすむことを痛感しました。

自然体がいちばん

そんな心境だったので、無職だから、お金がないから、将来の見通しが立っていないからと卑屈になることなく、僕は「結婚したい」という自分の願望にストレートに向き合うことができました。

純粋に、「この女性と交際して、やがては結婚して家庭を築きたい」と思っていました。そしたら、不思議と当時は近所の顔なじみ程度の仲だった妻と接近し、交際することになりました。その後は同棲、入籍と、わずか4ヶ月で夢を実現してしまいました。

仕事でも似たようなケースが起こりました。仕事が欲しい!お金が欲しいと思いすぎているときは、頭の中がいつも仕事とお金でいっぱいで余裕がないからか、全然仕事を得られないことが多いんです。

でも、立ちいかなくなりそうになったらアルバイトをして収入を補填しよう、いざとなったら潔く事業をたたんで別の仕事をしよう、死ぬわけじゃない、みたいにどっしりと構えていると、不思議と仕事が舞い込んでくる。

何かが欲しくて、それに執着しすぎると、かえって欲しいものが遠ざかる。そんな気がします。

39歳の誕生日の午後、子どもたちとのお昼寝中に、昔々のことを思い出しました。

30代最後の年には、まるでギアをニュートラルに入れるように、力を抜いて生きる時間をつくろうと思います。

いつも、ありがとうございます!

 

お読みくださり、ありがとうございました。

薗部雄一

charoma0701@gmail.com

 

 

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