僕は長男の言葉選びが、とーっても大好きなんだ。
いろんなものを素直に見て、思ったことを素直に言う姿がかわいいんだよなぁ。
家から保育園までは自転車で15分かかるのだけど、途中に緩やかな下り坂があるのね。
住宅街のど真ん中にある緩くて長い下り坂。
長男をそれを「道路のすべり台」と表現するんだ!
初めてその発言を聞いたとき、下り坂と滑り台を結びつけた彼の発想に「すごい!」と思ったよ。
下り坂だから、自転車をこがなくてもどんどん前に進んでいく。
言われてみれば、たしかにすべり台みたいだね!
この道を通るたびに「道路のすべり台だー!」と嬉しそうに言う長男の姿を見るのが僕は楽しみなんだよ。
この時期の自転車は寒くてたまらんのだけどね…。
でも冬の朝の冷気が頬に当たるのは心地よいし、自転車の上で長男と交わす会話も面白いから、まあ、いいかな!!
言葉選びといえば、「鏡開き」という表現も僕は好き!
このブログを書いているのが、1月11日なのだけどね、その日は鏡開きの日なのだ。
正月に飾った鏡餅を食べやすい大きさにして、お汁粉に入れて食べるんだ。
そもそもお正月になんで鏡餅を飾るかというと、神様の居場所をつくるため。
松の内(1月7日まで)が終わったら、神様が入った鏡餅をいただいて、「いいことありますように」と願うイベントなのね!!
そうなんだけどね、なぜお餅を「開く」と言うんだろう?
鏡餅を食べやすい大きさにする方法は、鋭い刃物で切るか重さがあるハンマーで叩き割るかと考えるのが自然だよね。
なんで鏡餅を「開く」というのか。
それには理由があるんだ。
縁起が良いか悪いか。
神様がいる鏡餅を「切る」とか「割る」と言うと、なんだか罰当たりな気もするよね。
武士の家庭でも鏡餅を飾っていたわけだけど、「切る」という言葉から切腹をイメージしてしまうので、新年からとっても縁起が悪い…。
「割る」っていうのも、物を壊すシーンを連想するので、なんだか嫌。
とはいえ実際にはお餅を切ったり叩いたりしてるわけだけど、「開く」と表現すると縁起の悪さも罰当たりな感じがしなくて、単に「お餅を食べやすい大きさにしている」というフラットな印象を受けるから不思議だよ。
ライティングと編集を仕事にしている僕にとって、ワードセンスはかなり重要。
「鏡開き」も「道路のすべり台」も、素晴らしい表現だなぁ。
先輩編集者さんが仕事のことを「言葉屋さん」と話していたことを思い出すよ。
僕もそんな言葉選びができるように毎日を過ごしていこう!
ま、まあね、言葉選びもいいけど、今日は1月11日。
お汁粉を食べるのはもっと好きだな。
そのべゆういち
charoma0701@gmail.com
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