このブログでは、妻との日常と妻への愛情を綴っています。
僕らは川崎市にある「新丸子」という街にある喫茶店「SHIBACOFFEE」さんで出会い、様々な偶然が重なって付き合ってから4ヶ月で結婚しました。
2017年6月3日朝、元気な男の子が誕生しました。誕生の瞬間には涙が流れ、命懸けで出産に臨んだ妻に感謝の気持ちでいっぱいになりました。妻子への愛情をあらためて感じます。
「妻との出会いを読んでみたい!」という方は、こちらをお読みください。
妻との出会い(1)~近所の喫茶店の常連客同士だった~ - いい夫婦net.~夫から妻へ送る愛と日常の一コマ~
息子が誕生して2週間。日々元気に育っています。赤ちゃんは最高のエンターテイナー。親を楽しませてくれます。さっきまで笑っていたと思えば、顔をくしゃくしゃにして泣いたりと、百面相のようです。夜中に授乳やオムツ替えをするので、夫婦一緒に寝不足ですが……。
僕ら夫婦は立ち会い出産を選択しました。分娩室と聞くと「女性だけの空間」というイメージを持っていましたが、ゲンナイ製薬が2016年に発表したリリースを読むと、夫が立ち会い出産した割合は56.2%。およそ半数の男性が立ち会っていることがわかりました。最近では夫が分娩に立ち会うケースが増えているんですね!
立ち会い出産って、夫が分娩室に入って妻の横にいて、我が子の誕生の瞬間を共有することだけだと思っていました。でも実際に経験して、「いや、それだけではない」と感じたので、やや長いですがブログに綴ります。
最初は消極的だった 理由は「血を見るのがこわい」から
実は僕は最初、立ち会い出産に対して消極的でした。検査で自分の採血を見るだけでもクラクラするのに、出産での出血を見たら倒れてしまうかもしれない。
それに、出産する妻の姿を見たくない気持ちもありました。「立ち会い出産で妻の姿を見たら女性として見られなくなった」という話も耳にしていたので……。
気持ちが変わったのは、妻のお腹が徐々に大きくなり、我が子が確かに存在していることの実感が湧いてきたときです。
「愛する妻との間にできた子どもの誕生の瞬間を見たい」
そう感じました。
妻が入院・分娩する病院の助産師外来と、第3回目の母親学級に参加し、病院から出される立ち会い出産の同意書に署名と捺印を済ませました。
立ち会い出産とは、我が子の誕生の瞬間を見るのは一体どんなものか——。僕は以前から楽しみにしていました。本や雑誌を読んで当日にやることを事前にイメージしながら、「陣痛っていつ来るのかな?」と妻とよく話していたんです。 でも、いざ陣痛室に入ってみたら、僕は無力感しか感じませんでした。
陣痛とは赤ちゃんを押し出すために、子宮が規則的に収縮するときに感じる痛みのこと。痛みはずっと続くわけではなく、痛いときとそうでないときが繰り返されます。陣痛が激しい痛みなことは知っていましたが、陣痛室で妻が苦悶する姿を目の当たりにして、たじろいでしまったんです。
6月2日 おしるしあり 「いよいよ陣痛か」
陣痛の兆候があったのは、2日(金)のことでした。朝8時頃にトイレに入った妻が、
「おやっ?」
と声を出しました。
おしるし(出産のサインと言われる少量の出血)があり、「いよいよか」と2人で身構えました。おしるしがあると、通常1〜2日以内に陣痛が来ると言われているためです。
お昼あたりから妻のお腹の張りと痛みが増してきたため、陣痛間隔をアプリで測ったところ、間隔はまだ10分以上空いていました。しかし、以前とは明らかに違った痛みで出血も続いていたため、産婦人科に電話連絡をして受診することにしました。
このまま入院かと思いきや、まだ子宮口がほとんど開いておらず、今すぐに出産の兆候はないと言われました。助産師さんは、「まだ(胎児が)下に下りきっていないね」と話していました。
40分ほど検査をした後、帰宅して様子を見ることになりました。このとき、我が子の心音を聞いたのですが、なんとも愛おしい気持ちになったことを覚えています。
あとね、おしるしがあった後に妻が
「お腹からいなくなっちゃう」
と涙を流す姿が印象的でした。10か月を同じ体内で過ごし、母子は特別な絆で結ばれているのだと思います。妻の気持ちに、僕も胸が熱くなりました。
3日(土)深夜 陣痛がやってくる
帰宅後に夕飯とお風呂を済ませ、22時頃に就寝。急展開があったのは、おそらく3日(土)の夜中1時くらいのことです。妻のお腹の痛みが強まり、さらに痛みの間隔が短くなっていきました。
僕深い眠りについていて、最初は動きが悪かったですが、妻の様子を見て一気に目が覚めます。妻が自分で産婦人科に連絡している間、僕はタクシーを呼び荷物をまとめて家を出発。病院には1:30頃に到着します。
妻と一緒に陣痛室に入り、背中をさするなどして様子を見ていたのですが、痛みの間隔はさらに狭まっていき、痛みも増します。それまでは「痛い」と冷静に言うだけだったのに、徐々に「痛い!!!」と語気が強まり、汗の量も増えます。
2:30くらいだったと思います。最初はベッドで仰向けで寝ていた妻ですが、痛みが来ると四つん這いのかっこうをして、苦悶の表情を浮かべるようになりました。僕にも緊張が走ります。
妻は病院から支給される下着を着用していましたが、痛みで妻が動いたため位置がずれてしまい、妻のくるぶしから下の部分とシーツに血液がべったりと付着しているのに気がつきました。血液を見ることを恐れていましたが、この時は自分でも驚くほど冷静に直視。陣痛室からナースコールを押して、助産師さんに異変を知らせます。
痛みのあまり、妻は全身に力が入ってしまいました。しかし、この段階でいきんではいけません。子宮口が十分に開いていない状態でいきむと、赤ちゃんが狭い産道に押し出されて苦しいですし、ママとしても体力を消耗して肝心なときにいきめず、お産が長引いてしまうおそれがあるのです。
妻がいきみの姿勢を見せたため、助産師さんから、
「まだ(いきんじゃ)ダメ!!」
と強烈な喝が入ります。
誰もいない病棟のベンチで何もできない歯がゆさを感じる
しばしば助産師さんからの処置がされましたが、その間僕は陣痛室からの退出をお願いされ、真夜中の誰もいない病棟のベンチでひとり待ちます。10か月の妊娠生活の中で、僕にとって最も辛くて歯がゆかったのは、妻が陣痛に苦しんでいるときでした。
妊娠中、できる限り妻のサポートをしてきたけど、陣痛の痛みは如何ともしがたい。愛する人が目の前で苦しんでいたら、なんとかしたい!、と思うのが人情です。
「僕が代わってあげたい!」
「痛みをとってあげたい!」
「僕にも少し分けて欲しい!」
心の中でそう連呼していました。でも実際には何もできないわけです。自分の無力さを感じました。
しかし、一番頑張っているのは妻です。痛みに苦しむ声が病棟へも響きます。その声を聞いて、「僕がたじろいでいる場合じゃない」と心を強く持ちます。妻はいきみたくてもいきめない。これは辛いです。
陣痛室に戻った僕は、妻に強い痛みが来た際、妻と一緒に呼吸を合わせました。緊張したり、不安になったりしたとき、呼吸は早く浅くなってしまうもの。だからリラックスうしてもらおうと、深く大きく呼吸することにしたのです。
「よし、一緒に呼吸しよう!」
「フー、フー、フー」
そんな風に声を出して、妻の腰を撫でたり、汗を拭いたりしながら過ごしていたように思います。おそらく、陣痛室では2時間ほど過ごしていたと記憶しています。
子宮口が十分に開く ついに分娩室へ
妻の陣痛の経過は順調で、子宮口が十分に開いて来ました。助産師さんから
「そろそろ分娩室へ移動します。水など買うなら今のうちです」
と言われました。4:30ほどだったでしょうか。
僕は自販機で水とジュースを買い、分娩室に入る為の専用の服に着替えて分娩室に入ります。自分でも不思議なくらい妙に落ち着いていました。(専用の服の着方が間違っていて、助産師さんから「パパ、着方が違うよ(笑)」と笑われたのはいい思い出です)
陣痛に耐え、いきみを我慢してきた妻ですが、分娩台の上ではいきむことができます。僕は妻の頭側に立ち、妻の汗を拭いたり、話しかけたり、水を与えたりしてサポートします。
分娩台では、痛いときにいきんで赤ちゃんを押し出し、痛くないときに水分補給をしたり、深呼吸をしたりしてリラックスします。分娩中、赤ちゃんはやや酸欠状態になるので、ママが呼吸して酸素を送ってあげる必要があるのです。
いきむ姿を初めて見ましたが、ものすごい力の入りようでした。いきむ瞬間は、妻の顔が真っ赤になります。妻は一睡もしていないし、陣痛に耐えて心身が消耗しているのに、どこにこのような力が残っているのかと、妻の強さを感じました。妻がいきむと僕も一緒にいきみました。妻と呼吸を合わせ、僕も汗びっしょりです。
一生忘れない息子の産声
妻はいきみ方が上手なようで、分娩はかなりいいペースで進んでいました。助産師さんたちも驚いていました。
「え、もう発露(赤ちゃんの頭が膣から見えたままの状態)なんだ。すごいね」
と、はっきりと聞こえるヒソヒソ声で話していましたよ。
「赤ちゃんの髪の毛が見えているよ」
助産師さんからそう言われたとき、僕は目頭が熱くなりました。
「妻よ、あと少しだ!一緒に頑張ろう!」
心の中でそう叫んでいました。そして5時28分、元気な産声をあげて我が子が誕生しました!
オギャー、オギャー、オギャー
分娩室に響きわたるほど大きな声でした。産声はボイスメモに残してあります。僕はこの産声を一生忘れません。
待ちにまった息子の誕生の瞬間に感じたこと。それは、
「人から人が出てきた!!!」
ということでした。
もっとかっこいいことを言いたいところですが、これが事実です。妻の体から別の人間が出てくる。これは衝撃的な光景でした。それと、へその緒が想像以上に太くて、まるでしめ縄のような感じだったことにも驚きました。
赤ちゃんも、へその緒も想像以上に大きくて、よくお腹の中にコンパクトに収まっているな、とそんなことを思っていました。病院によっては夫がへその緒を切るらしいですが、僕らが使った病院では医師が切りました。
息子の誕生は嬉しかった。でも僕の意識は息子よりも、10ヶ月の妊娠と陣痛、分娩を経た妻に向きます。「ありがとう。よく頑張ったね」の言葉を伝えました。
へその緒を切り、簡単に体を拭いた後、産声を上げて動きまくる息子を助産師さんが妻の胸の上に置いてくれました。妻はぐったりしていましたが、
「○○ちゃん(息子の名前)、重いねえ」
と話しかけていたことを覚えています。息子の体重は3095グラム。そりゃあ、重たい。
その後、僕は分娩室の外へ、息子は助産師さんに処置をしてもらうために別行動をとります。妻は分娩室に残り、後産などの産後処置が行われました。
処置が終わるまで1時間ほどかかりましたが、その間僕は病棟のベンチに座って喜びを噛み締めていました。母子ともに無事であること、息子が誕生したことが嬉しくて、涙が自然と流れます。ベンチの近くに新生児室があったのですが、汚れを拭いて服を着せられた息子を助産師さんの配慮で、見せてくれたのです。
処置が終わり分娩室に戻るよう促された後は、家族3人だけの時間を過ごしました。このとき、羊水でまだふやけた手で僕の指を握ったのです。感動的だったな。
夫婦は伴走者 妊娠中から立ち会い出産は始まっている
生まれて初めて立ち会いをしてみて、当初思っていた「妻と一緒に分娩室に同室すること」以上の意味を痛感しました。一番大きいのは、妻の精神的な支えになれることです。初めてのお産には不安が伴います。出産後に病室で、
「一緒に呼吸を合わせてくれたことが嬉しかった」
「隣にいてくれて心強かった」
と言われたとき、夫が妻につきそうことが励みになることを確信しました。
陣痛に苦悶する姿を見たときは、「同室するとかえって足手まといかな?」などと感じましたが、決してそんなことはなかった。苦しいとき、不安なとき、ただ一緒にいるだけで安心できる。夫として、妻からこのように思われることは嬉しいことです。
また、陣痛室と分娩室で夫婦が同室することで、出産という大きなイベントを共有できます。そうすることで、一緒に人生を生きるパートナーとしての絆が深まっていくのかな、と。
もうひとつは、出産を自分ごととして捉えられることです。立ち会い出産は、なにも分娩に立ち会うだけでなく、妊娠がわかったときから始まっているのです。陣痛も分娩も、妊娠生活の中で大きなイベントですが、そのひとつにすぎません。
夫婦が普段からバラバラだったら、あの余裕がない状況で思いやることは難しいと思ったんです。陣痛室で苦しむ妻にいちいち「俺、何すればいいかな?」なんて質問しても、妻は回答する余裕はない。
普段から妻を観察し、妻と向き合って、少しずつ妻の求めることを把握しておくことが大切なのだなと。立ち会い出産をしようと決めたときから、夫として「妻のために何ができるか」を考え、それを習慣化していく。その最終段階が、立ち会い出産だったのです。
妊娠と出産を経験することで、女性は母親になっていきます。男性とは、一歩も二歩も先に進んでいます。一方で男性は、意識転換して父親になる努力をする必要がある。母親になっていく妻を前に、男性がいつまでも夫のままの意識でいては、夫婦の関係がズレていってしまうかもしれません。
立ち会い出産の良さは、妊娠生活中から男性に父親になることを意識させ、妊娠、出産、育児を自分ごととして捉えるための大きなチャンスになることだと思います。出産して終わりではない。
夫婦は今後、育児という次のステップを迎えます。夫婦は一緒に人生を歩む伴走者。出産という大きなイベントをチームワークで経験することで、より一層の協力体制ができていくと信じています。
薗部雄一
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