2児のパパライターの「子育て」と「写真」と「仕事」

新丸子の喫茶店で知り合って交際4カ月で結婚した夫婦の記録

人生の選択に迷ったら、「愛情を持てること」を選んでみる 天国へ旅立った祖母との思い出をノートに綴って感じること

このブログでは、妻との日常と妻への愛情を綴っています。

僕らは川崎市にある「新丸子」という街にある喫茶店「SHIBACOFFEE」さんで出会い、様々な偶然が重なって付き合ってから4ヶ月で結婚しました。

現在妻は妊娠7ヶ月。僕はプレパパとなり、妻と子供への愛しさをあらためてかみしめています。

「妻との出会いを読んでみたい!」という方は、こちらをお読みください。

妻との出会い(1)~近所の喫茶店の常連客同士だった~ - いい夫婦net.~夫から妻へ送る愛と日常の一コマ~

 

祖母は天国へと旅立った

2017年1月3日夜、祖母が88歳で天国へと旅立ちました。覚悟はしていましたが、いざ死に接すると悲しい。一人になった時に涙がボロボロと出るし、心は動揺しています。いつもなら朝まで爆睡する僕が、昨夜は覚えているだけで5回は目が覚めたから眠い。軽く頭痛がするし、ショックを受けているのだなあ。

祖母が食事が摂れなくなり、「危ない」と言われたのが昨年12月上旬のこと。12月12日(月)、僕は祖母が入院する施設に足を運んだんだ。病室では祖母はスースー眠っていたけど、「おばあちゃん」と話しかけると目を覚まして、僕の名前を呼びました。ちゃんと理解できる状態だった!僕が我が子のエコー写真を祖母に見せて、「おばあちゃん、僕の子供だよ。おばあちゃんのひ孫だよ」と伝えると、「カワイイ」と涙を流して喜んでくれました。このとき、僕が手を握るとギュッと握り返してきて嬉しそうだったことを覚えています。

亡くなる1週間ほど前、祖母は熱を出しました。施設の人の話では、生きようとして熱を出すことがあるとか。祖母は食事が摂れなくても、それでも生きよう生きようとしたんですね。僕は胸を打たれました。

 

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 (在りし日の祖母。祖父と一緒に僕のMacBook Proを見る。写真を見せると喜んだんだ! それにしても部屋が汚い…)

 

覚えているのは小さなことばかり でも強い愛情があった

祖母が亡くなった後、祖母とのあらゆる思い出が僕の頭をよぎりました。小さいころ、僕は川崎市幸区古市場という場所にある祖父母の家(当時)で同居していただけに祖母への思い入れは強いのです。

今日は祖母の納棺が行われ、祖母は本当にこの世からいなくなってしまったのだと感じ、ひとりになって祖母への思いを馳せて気持ちの整理をしました。強く残る祖母との思い出は、

 

・当時住んでいた幸区古市場の細い道を、一緒に手を繋いで歩いたこと

「目黒豆腐店」という豆腐屋で油揚げを買ったこと

夢見ヶ崎動物公園に動物を見に行ったこと

・鹿島田の「つちや」という肉屋でにこにこぷんのソーセージを買ってもらったこと(今でも店はあるし、20代半ばで鹿島田に住んだ時には買い物によく来た)

・祖母の得意料理である「混ぜごはん」を一緒に食べたこと

・近所の公園でブランコに乗せてもらったこと

天満天神社の夏祭りに行ったこと

 

など、一見すると小さなことばかりです。

 

混ぜごはんは妻にも作ったことがある料理ですね。

 

efufunet.hatenablog.com

  

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(祖母を見舞った12月12日に撮った天満天神社。小学校に上がる前、祖父母と一緒に夏祭りに来た。当時は広い境内だなと思ったけど、大人になってから来ると狭く感じる)

 

そんな小さなことがなぜいい思い出として残っているのかを考えると、祖母の愛情を感じていたからではないか、と思いました。祖母は僕にたくさんの愛情を注いでくれました。祖母の愛情は、今でも確かに僕の心に残っているのです。

上野動物園に行ったり、芦ノ湖や鎌倉に旅行に行ったこともある。でもいい思い出として記憶に残っているのは、なんてことない道を歩いたり、出前注文したラーメンが尋常じゃないしょっぱさで食べられなかったりといった小さなことばかりだったんだよね。

 

もし選択に迷ったら、愛情を持てることを選んでみる

12月のお見舞いで祖母に我が子のエコー写真を見せたときあたりから、僕の心はちょっと揺れていました。祖母の命は今にも消えてしまいそう。一方で我が子は妻のお腹の中で日々成長し、生まれる時を待っている。我が子の「生」と祖母の「死」という命の対極を同時に見て、「生きるって何なのだろう?」という思いが頭をぐるぐるしていました。

今日、ノートにひたすら心境を綴っていたら、こんな一文を書いていて、「生きる意味って、これかもしれない!」と思った。

生きていく中で迷うことがあると思う。そのときは、愛情を持てる方を選択すればいい。そう感じる。人はこの世に愛情を放ち、残しに来るのだろう。

愛情のエネルギーの強さについては以前から妻と話していました。結婚という人生の大きな変化に踏み切る力を生み出し、さらに子供という新しい命を生み出すほどの力もある。「この世で一番強いのって愛情なんじゃない?」なんて2人で話していたんだけど、ほんとそうだと今日思った!

 

昨年の4月から「働き方」をテーマに記事を書く仕事をするうちに、仕事や人生はなぜこんなに辛いのだろう?と疑問を抱くようになりました。連日のように暗いニュースばかりが報じられ、「人生って、こんなにつまらないもののはずがない!!!」という気持ちが日に日に強まり、ネットに嫌気を覚えるときすらあります。

人生がつまらなくなるのは、選択の基準を人の評価とか体裁とか、自分の外側のものにしてしまうからじゃないか。他人を基準にしているから、自分の選択や、選択したものに愛情を持てていないために辛いのではないか。ノートに書きながらそう感じました。

我慢したり、他人の要望を満たすことが人生の目的ではないはず。人に対してだったり、物に対してだったり、愛情を向け続けられるものに目一杯を愛情を注ぐことが、この世でやることなんじゃないか。

僕も選択に迷うことがあって、頭がぐるぐるしていたところに祖母の死というカウンターパンチを食らって心が乱れたわけだけど、僕が自分で自分の選択を難しいものにしていただけなのだろう。判断基準は、愛情を持てることかどうか。それだけなのかな。

 

愛情を持てることと言えば、折り紙もあるなあ。僕は保育園に通っていたとき、体が弱くてよく休んでいたね。そのときにおばあちゃんは僕に折り紙を教えてくれた。おばあちゃんが教えてくれた折り紙は、僕の指がちゃんと覚えてる。今年生まれる僕の子供に教えようと思うよ。

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お読みくださりありがとうございました。

 

 

薗部雄一

charoma0701@gmail.com

 

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